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釧路家庭裁判所 昭和41年(少)1231号 決定 1966年12月26日

少年 R・H(昭二四・二・二三生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

押収してある現金二五、一〇〇円(昭和四一年押第一六五号の一)を被害者○十○昇に還付する。

理由

(非行事実)

少年は、

第一、A、Bと共謀の上、昭和四一年一一月○○日午後七時一〇分頃、北海道阿寒郡○○町○○○○××番外地○崎○ダ方店舗において、同人所有の紳士ズボン三着(時価合計一一、二〇〇円相当)を窃取し、

第二、C、A、Bとともに、同町○○○○××番外地所在カフエー「ム○ラ○」および同カフエー「○霧」で飲酒した後、帰宅する途中、同日午後一〇時三〇分頃、同町○○○○××番外地先路上において、釧路市より帰宅すべく、自家用乗用自動車を運転してきた○十○昇(当三五歳)より、道路一杯になつて歩いていたことで、注意を受けたことに憤激し、上記三名と共謀の上、Cにおいて、同所に停車した○十○の胸倉を掴んで、同人を車外に引きずり降ろし、四人で同人を代わる代わる殴打し、同所より約三五メートル上記「ム○ラ○」方向に逃走した同人をCおよびBが追いかけて掴まえ、同人を殴打した後、同人を上記自動車の停車位置付近まで連れ戻した上、同所において四人で同人を殴打し、その後隙をみて逃げ出した同人を同所より約三〇メートル離れた雄別鉄道の軌道上で掴まえて、四人で同人を殴打したり蹴つたりし、次いで○○中学校校門付近に同人を連行した上、少年、CおよびAにおいて同人を殴打し、更に上記一連の暴行により畏怖している同人より金品を強取しようとCおよびAと意思相通じ、同所より約二〇メートル離れた同校小使室前の暗がりに同人を連れ込んだ上、同人に対し殴る蹴るの暴行を加えて、同人の反抗を抑圧し、少年において「金ないか」と申し向け、同人より現金二五、一〇〇円を奪取して、これを強取するとともに、上記暴行により、同人に対し、約三週間の静養加療を要する、顔面および頭部打撲傷、兼左第八乃至第一二肋骨および右第九乃至第一一肋骨骨折、急化歯膜炎(打撲による)、歯牙弛緩動揺の傷害を与え

たものである。

(強盗致傷を強盗および傷害と認定した理由)

一  検察官は、判示第二の事実を家庭裁判所に送致するに当たり、「少年は、C、AおよびBと共謀の上、○十○より金品を強取しようと企て、同人に対し暴行を加えてその反抗を抑圧した上、同人より現金二六、二〇〇円を奪取してこれを強取し、その際上記暴行により、同人に対し判示のような傷害を与えた」旨、強盗致傷の非行事実を主張しているので、以下において、本件各証拠を検討することとする。

二  ○十○昇の司法巡査に対する供述調書(下記信用しない部分を除く。)、医師多田茂および同武藤忠作成の各診断書、司法警察員および司法巡査作成の実況見分調書、Cの昭和四一年一二月一日付(二通)同月二日付(強盗致傷被疑事件に関するもの)、Aの司法警察員に対する各供述調書、Aの同月一日付、Bの同月一日付(二通)、同月二日付(強盗致傷被疑事件に関するもの)司法巡査に対する各供述調書、少年の当審判廷における供述(下記信用しない部分を除く。)少年の同月一日付(強盗致傷被疑事件に関するもの、二通)、同月二日付司法警察員に対する供述調書(下記信用しない部分を除く。)を総合すると、少年ら四名は、本件非行当夜カフエー「ム○ラ○」および同「○霧」で飲酒した後、自己の寮に帰宅すべく道路一杯になつて歩いていたので、前方釧路方面から自家用乗用自動車を運転してきた○十○より、通行の妨げになると注意を受けたことに憤激し、判示のとおり、同人に対し、同所より○○中学校小使室前の暗がりに至るまで、六カ所において、暴行を加え、このため同人に、判示のような傷害を与えたこと、○十○を○○中学校校門付近より、同校小使室前の暗がりに連行した際、少年は、それまで加えられた一連の暴行により畏怖している同人より、金品を強取しようと考え、同人に対し更に暴行を加えた上、「金ないか」と申し向けて同人より現金二五、一〇〇円を奪取し、その場にいたCおよびAも少年の行動に気づきながら、○十○に対する暴行を継続していたこと、上記○○中学校小使室前の暗がりで加えられた暴行により、いかなる傷害が発生したか、明らかでないこと、一方Bは、上記○○中学校校門付近まで○十○を追つてきたが、丁度その時、別の自動車が前記道路を通行してくるのを認めたので、通行の妨げとならないようにするため、○十○の自動車が停車しているところに引き返し、同自動車を同所より約一一〇メートル運転して、同中学校校庭横に停め、同自動車を降りて同校小使室前にきたときは、他の三人は同人に対する暴行を止めており、その直後同所より逃走したもので、少年が○十○より現金を奪取したことは、寮に帰つてはじめて知つたこと、以上の事実を認めることができる。そして、○十○の上掲供述調書中、○○中学校小使室前の暗がりでも四人より暴行を受けた旨の供述記載、少年の当審判廷における供述および少年の上掲供述調書中、まず雄別鉄道軌道上で○十○より現金一〇、〇〇〇円を奪い、次いで上記小使室前の暗がりにおいて、BかAが○十○より財布を奮い現金を抜き取つてこれを自分に手渡した旨の供述および供述記載は、いずれも上掲各証拠と対比して信用できないところである。

三  上記認定事実によると、少年ら四人が共謀の上○十○に暴行を加え、判示のような傷害を与えたことが認定できるのはいうまでもないが、少年において同人より金品を強取しようとしたのは○○中学校小使室前の暗がりに至つてからであり、しかもこの時Bはその場に居らず、意思を相通じたのは少年、CおよびAの三人であつたといわねばならない。そして強盗の犯意が生じた後○十○に加えられた暴行により、いかなる傷害が発生したか、証拠上明らかになしえない以上、少年の所為を強盗致傷罪に問擬することはできず、強盗罪および傷害罪の二罪が認定されうるにすぎないわけである。なお、本件において、強盗罪の際加えられた暴行と、傷害罪の原因としての暴行とは一部で重なり合つているので、強盗罪と傷害罪とは一個の行為で二個の罪名に触れる観念的競合の関係にあるといわねばならない。

(法令の適用)

第一の事実につき、刑法六〇条、二三五条

第二の各事実のうち、強盗の事実につき、刑法六〇条、二三六条一項、傷害の事実につき、刑法六〇条、二〇四条

(保護の事由)

少年は、中学生時代より粗暴性があり、昭和三九年六月一日当裁判所で窃盗保護事件により不処分となつたこともあり、中学校を卒業するとすぐ、昭和四〇年四月より東京都内のガソリンスタンドに就職したが、同年七月には帰省し、その後同年十二月頃まで、および昭和四一年六月頃より同年一一月○○日まで義兄○川○雄の許で土工夫として稼働し、仕事が切り上つたので退職するとともに翌○○日より○井建設で坑外夫をするようになつたその日に、飲酒後本件各非行を犯したものである。特に判示第二の各非行をみるに、少年は被害者に暴行を加えるに当たり最初は消極的であつたが次第に積極的執拗になり、被害者より金品を奪取するに当たつては主謀者となつたばかりでなく、共犯者に対し強取した金額は五、〇〇〇円であつたと虚偽の事実を述べるなど、その態様は極めて悪質である。少年は小、中学校を通じ通学日数が三分の一であつたことなどのため学力常識に乏しい上、活動的で、即行性、衝動性が強く、気分にむらがあり、陰気な性格の持主である。少年の父は病弱であり、母にも保護能力がない。以上の事実その他諸般の事情を考慮すると、この際少年を社会より隔離した上、少年に対し長期に亘る徹底した矯正教育を施す必要があると思料される。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項を適用して、少年を中等少年院に送致し、押収してある現金二五、一〇〇円(昭和四一年押第一六五号の一)は判示第二の強盗罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、少年法一五条、刑事訴訟法三四七条一項により、これを被害者○十○昇に還付することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 喜多村治雄)

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